玄界灘漁船沈没事故

事件概要

1.事件発生

2003年7月2日未明、福岡県沖の玄界灘で、ある海難事故が発生しました。
貨物船と漁船が衝突した事故です。漁船は大破沈没。乗組員は海に投げ出されました。
テレビでは、NHKを初め民放も各社が第一報を、その日のうちに流しました。
パナマ船籍の貨物船「フン・ア・ジュピター」が鳥取県境港市の巻き網漁船
「第18光洋丸」と衝突。1名死亡、6名が行方不明、その他重軽傷者多数
 http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/news0307/news0702e2.htm 【googleキャッシュ】 【当サイトにて保存

さらに事故の4日後である7月6日朝、6名の行方不明者を捜索している水産庁の取締船「からしま」が、
またも別の貨物船にぶつけられ大破、16名が海に投げ出されました。この海域は「第18光洋丸」の救助
海域であり、すぐ仲間の取締船が駆けつけたので幸い全員無事でしたが、「からしま」は大きく傾きました。
この事故も、その日の昼にテレビで不可解な報道をされた後、全国放送からは完全に消え去りました。
翌7日「からしま」は、船体の半分以上が海につかり、曳航は不可能と判断され、
やむなく自沈処理の検討にはいります
 http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/news0307/news0707m3.htm 【googleキャッシュ】 【当サイトにて保存


福岡地裁で行われている審判によると尹国大被告は
「以前から入港時刻の遅れを危ぐし、 直前まで進路を
変更しないなど違法、危険な航行を繰り返していた
「事故当日も前方に漁船団を見つけたのに、運動不足の解消として
操舵(そうだ)室を歩き回って前方を注視していなかった

「フン・ア・ジュピター」はそのまま速度を落とさす「第十八光洋丸」の側面に正面から衝突、
その後は捜索灯もつけず救助活動を放棄した。乗員に怪我は無い。
航行中の船は漁ろうに従事している船舶の進路を避ける義務があるとともに、
巻き網漁中でエンジンは停止中、スクリューを回すと網が絡まって危険なため船を動かし
回避することの出来なかった「第十八光洋丸」はなす術無く衝突されその瞬間転覆し、
17人が海に投げ出され1分ほどで沈没した。乗組員21人のうち4人は小型作業船に移っており難を逃れた。
船団が救出活動を開始し、11人が救助されたが、1名が死亡、2名が負傷、そして6名が行方不明に・・・・

午後22時現在、未確認ですが行方不明者の捜索を打ち切られてしまいました。
マスコミに報道されることなく、問題を棚上げされたままになってしまいました。
謹んで御冥福を御祈り致します。

『玄海灘・漁船沈没事故 必死の捜索も「難しい」 家族ら固い表情』―――片山善博知事は7日の定例会見で
「共和水産が代船を建造される場合の融資や家族のメンタルケアの問題など、行政で対応すべき分野でよく考え方を
うかがってみたい」と述べ、県として支援の用意があることを示した。
(http://www.mainichi.co.jp/area/tottori/news/20030708k0000c031001000c.html)

漁船“沈没”事故ではなく、貨物船衝突事故です
(なぜマスコミは漁船が勝手に沈没した事にしたいのでしょうか?  誰に何を隠したいのですか?)
片山さん、相手側に過失があるにも関わらず国民の税金で“代船を建造”するという事でしょうか?

『漁船と貨物船で過密海域 玄界灘の事故から1週間』―――過密海域の安全確保が問われている
(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030709-00000017-kyodo-soci)

過密海域という言葉が強調され、問題のすり替えが行われています。



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