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玄界灘でコンテナ船と衝突の漁船が沈没、1人死亡6人不明

 2日午前2時25分ごろ、福岡県大島村・沖ノ島の北東約25キロの玄界灘で、操業していた鳥取県境港市栄町の共和水産(和田耕治社長)所属の巻き網漁船「第18光洋丸」=135トン、櫨山(はぜやま)良一船長(34)ら21人乗り組み=に、パナマ船籍のコンテナ船「フンア・ジュピター」(3372トン、16人乗り組み)が衝突した。

 光洋丸は転覆して間もなく沈没、乗組員17人が海に投げ出され、11人が僚船に救助されたが、網長山下一弘さん(43)(境港市清水町)が死亡、2人がけがをした。櫨山船長ら6人が行方不明となり、第7管区海上保安本部(北九州)と門司海上保安部が捜索している。


福岡・沖ノ島沖で沈没し、僚船に救出された「第18光洋丸」の乗組員(2日午前6時10分、山口県下関市の下関漁港で)
 門司海保はコンテナ船の見張りに問題があった可能性もあるとして、北九州市・門司港に到着したコンテナ船の船長らから業務上過失往来妨害などの容疑で事情を聞いている。

 けがをしたのは、機関員平瀬秀美さん(40)と甲板員山下正一さん(36)(ともに長崎県上五島町)で、手を骨折するなどした。乗組員を病院に搬送した下関消防署によると、平瀬さんら以外にも、6人が腰や頭に軽いけがをしているというが、海保は確認していない。

 調べによると、光洋丸は運搬船、明かりをともす役割の灯船などと計5隻で船団を組み、巻き網漁をしていた。コンテナ船は光洋丸の左舷中央付近に、直角に近い角度で船首から衝突したという。

 光洋丸の乗組員のうち4人は小型船に乗り移り、網を張る作業をしており無事だった。光洋丸は網を広げていたため、移動できない状態だったという。


衝突したコンテナ船「フンア・ジュピター」(中央)や巡視艇などが懸命の捜索活動を続ける現場海域(2日午前9時、福岡県沖ノ島沖で、本社ヘリから)

沈没した第18光洋丸(共和水産提供)
 コンテナ船は韓国・釜山から広島県へ向かう途中で、乗っていた韓国、中国人計16人にけがはなかった。

 救助にあたった僚船の乗組員らによると、コンテナ船は船団に向かって真っすぐに進行してきた。付近は真っ暗で、全船がライトを照らし、警笛を鳴らして警告したが、コンテナ船はそのまま速度を落とさず突っ込んできた。

 コンテナ船は事故後、付近の海域で、行方不明者の捜索に加わったという。

 共和水産によると、船団は6月28日、山口県・下関漁港を出港。現場海域でサバやアジ、マグロの幼魚「ヨコワ」漁をし、2日午後に帰港する予定だった。

 門司海保によると、当時、現場海域には海上濃霧警報が出され、北北西約12メートルの強風が吹いていたが、波の高さは1メートルと比較的穏やかで、視界も良好だったという。

 ▼他の行方不明者は次の通り。(敬称略)

 漁労長・小島幸則(51)(長崎県上五島町)▽甲板長・新川増美(40)(境港市蓮池町)▽機関員・切江淳一(49)(上五島町)▽調理員・福田博昭(32)(長崎県玉之浦町)▽機関士・池田久(36)(境港市外江町)

 ◆再三の警告“無視” 漁船側「居眠りでは」

 第18光洋丸の乗組員らは僚船に救助され、2日午前6時ごろ、山口県下関市の下関漁港に到着、救急車で次々に病院に運び込まれた。

 光洋丸の通信士、松添松好さん(52)らの証言によると、光洋丸が現場海域で操業を始めたのは午前2時過ぎ。間もなくレーダーで約8キロ先のコンテナ船を確認した。

 3、4キロの距離に近づいたころ、肉眼でも見えるようになり、松添さんや小島漁労長、櫨山船長らが汽笛を鳴らしたり、ライトを点滅させたりして警告した。

 ところが、コンテナ船はスピードを緩めないままぐんぐん近付き、左舷中央付近にぶつかった。その瞬間、船は転覆し、1分ほどで沈没したという。

 当時、光洋丸の甲板には10数人の乗組員がおり、巻き網を揚げる作業の準備をしていた。エンジンは停止中。スクリューを回すと、網が絡まって危険なため、船を動かし、回避することはできなかったという。乗組員の大半は救命胴衣を着用していなかった。

 松添さんは「コンテナ船はスピードも緩めず、真っすぐに突っ込んできた。居眠りではないか」と怒りを込めた。機関員の大水信夫さん(46)は「海中に投げ出され、懸命にもがいた。なかなか海面に出れず、死を覚悟した」とショックを隠せない様子。

 甲板で作業中だった榎本勝さん(45)は「行方不明の仲間のことを思うと言葉がない。何が起こったのか、頭が混乱して……」と言葉を切った。

 頭にけがをした甲板員の井手渕貢さん(44)は「ものすごい衝撃だった。海に投げ出されて何かで頭を打ち、その後のことはよく覚えていない」とぼう然とした様子で話した。

 ◆漁船乗組員のうち9人は長崎出身

 光洋丸の乗組員のうち9人は長崎県出身。さらに、このうち4人は巻き網漁が盛んだった同県上五島町の出身者だった。

 上五島町漁協によると、かつては東シナ海を漁場に巻き網漁を展開していたが、20年ほど前から不漁が続き、他県の水産会社の船に乗り組む組合員が増えているという。

 一方、鳥取県境港市の漁業関係者によると、光洋丸の船団は、5隻1組で船団をつくっていた。光洋丸は船団の指揮をとる本船と呼ばれる船で、最近は玄界灘で日中のマグロ漁を行っていたが、事故前日の1日夜、別の船団がサバ漁を行い、大漁だったことから、夜の漁に切り替えたという。

 ◆死亡・不明者の家族ら沈痛

 死亡した山下・網長の長崎県上五島町の実家には、親類らが沈痛な表情で続々と集まった。

 女性の1人は「朝、『亡くなった』と会社から連絡をもらった……」と言葉を詰まらせた。山下・網長の家族は鳥取県境港市に住んでおり、航空機で福岡市に向かったという。

 行方不明の小島・漁労長の同町の自宅には、安否を気遣う親類や近所の人が駆けつけた。親類の1人は「毎月1回は帰ってきていたのに」といたたまれない様子。

 切江機関員の親類の男性は、すぐにも下関に駆けつけるつもりだと話し、福田調理員の妻は、長崎県玉之浦町の自宅で「これからどうすればよいのか、わかりません」と不安そうに話した。


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