九州発トップニュース | ||||||
| ||||||
| ||||||
玄界灘でコンテナ船と衝突の漁船が沈没、1人死亡6人不明 | ||||||
光洋丸は転覆して間もなく沈没、乗組員17人が海に投げ出され、11人が僚船に救助されたが、網長山下一弘さん(43)(境港市清水町)が死亡、2人がけがをした。櫨山船長ら6人が行方不明となり、第7管区海上保安本部(北九州)と門司海上保安部が捜索している。
けがをしたのは、機関員平瀬秀美さん(40)と甲板員山下正一さん(36)(ともに長崎県上五島町)で、手を骨折するなどした。乗組員を病院に搬送した下関消防署によると、平瀬さんら以外にも、6人が腰や頭に軽いけがをしているというが、海保は確認していない。 調べによると、光洋丸は運搬船、明かりをともす役割の灯船などと計5隻で船団を組み、巻き網漁をしていた。コンテナ船は光洋丸の左舷中央付近に、直角に近い角度で船首から衝突したという。 光洋丸の乗組員のうち4人は小型船に乗り移り、網を張る作業をしており無事だった。光洋丸は網を広げていたため、移動できない状態だったという。
救助にあたった僚船の乗組員らによると、コンテナ船は船団に向かって真っすぐに進行してきた。付近は真っ暗で、全船がライトを照らし、警笛を鳴らして警告したが、コンテナ船はそのまま速度を落とさず突っ込んできた。 コンテナ船は事故後、付近の海域で、行方不明者の捜索に加わったという。 共和水産によると、船団は6月28日、山口県・下関漁港を出港。現場海域でサバやアジ、マグロの幼魚「ヨコワ」漁をし、2日午後に帰港する予定だった。 門司海保によると、当時、現場海域には海上濃霧警報が出され、北北西約12メートルの強風が吹いていたが、波の高さは1メートルと比較的穏やかで、視界も良好だったという。 ▼他の行方不明者は次の通り。(敬称略) 漁労長・小島幸則(51)(長崎県上五島町)▽甲板長・新川増美(40)(境港市蓮池町)▽機関員・切江淳一(49)(上五島町)▽調理員・福田博昭(32)(長崎県玉之浦町)▽機関士・池田久(36)(境港市外江町) ◆再三の警告“無視” 漁船側「居眠りでは」 第18光洋丸の乗組員らは僚船に救助され、2日午前6時ごろ、山口県下関市の下関漁港に到着、救急車で次々に病院に運び込まれた。 光洋丸の通信士、松添松好さん(52)らの証言によると、光洋丸が現場海域で操業を始めたのは午前2時過ぎ。間もなくレーダーで約8キロ先のコンテナ船を確認した。 3、4キロの距離に近づいたころ、肉眼でも見えるようになり、松添さんや小島漁労長、櫨山船長らが汽笛を鳴らしたり、ライトを点滅させたりして警告した。 ところが、コンテナ船はスピードを緩めないままぐんぐん近付き、左舷中央付近にぶつかった。その瞬間、船は転覆し、1分ほどで沈没したという。 当時、光洋丸の甲板には10数人の乗組員がおり、巻き網を揚げる作業の準備をしていた。エンジンは停止中。スクリューを回すと、網が絡まって危険なため、船を動かし、回避することはできなかったという。乗組員の大半は救命胴衣を着用していなかった。 松添さんは「コンテナ船はスピードも緩めず、真っすぐに突っ込んできた。居眠りではないか」と怒りを込めた。機関員の大水信夫さん(46)は「海中に投げ出され、懸命にもがいた。なかなか海面に出れず、死を覚悟した」とショックを隠せない様子。 甲板で作業中だった榎本勝さん(45)は「行方不明の仲間のことを思うと言葉がない。何が起こったのか、頭が混乱して……」と言葉を切った。 頭にけがをした甲板員の井手渕貢さん(44)は「ものすごい衝撃だった。海に投げ出されて何かで頭を打ち、その後のことはよく覚えていない」とぼう然とした様子で話した。 ◆漁船乗組員のうち9人は長崎出身 光洋丸の乗組員のうち9人は長崎県出身。さらに、このうち4人は巻き網漁が盛んだった同県上五島町の出身者だった。 上五島町漁協によると、かつては東シナ海を漁場に巻き網漁を展開していたが、20年ほど前から不漁が続き、他県の水産会社の船に乗り組む組合員が増えているという。 一方、鳥取県境港市の漁業関係者によると、光洋丸の船団は、5隻1組で船団をつくっていた。光洋丸は船団の指揮をとる本船と呼ばれる船で、最近は玄界灘で日中のマグロ漁を行っていたが、事故前日の1日夜、別の船団がサバ漁を行い、大漁だったことから、夜の漁に切り替えたという。 ◆死亡・不明者の家族ら沈痛 死亡した山下・網長の長崎県上五島町の実家には、親類らが沈痛な表情で続々と集まった。 女性の1人は「朝、『亡くなった』と会社から連絡をもらった……」と言葉を詰まらせた。山下・網長の家族は鳥取県境港市に住んでおり、航空機で福岡市に向かったという。 行方不明の小島・漁労長の同町の自宅には、安否を気遣う親類や近所の人が駆けつけた。親類の1人は「毎月1回は帰ってきていたのに」といたたまれない様子。 切江機関員の親類の男性は、すぐにも下関に駆けつけるつもりだと話し、福田調理員の妻は、長崎県玉之浦町の自宅で「これからどうすればよいのか、わかりません」と不安そうに話した。 | ||||||
| ||||||
過去のニュースindex | HOME | |||||
◆各県別過去のニュースはここをクリックしてください◆ |