もく星号遭難事故で死者の談話掲載

 (1952年4月10日付け長崎民友新聞)

消息を絶った日航機「もく星号」は伊豆大島の三原山に激突して遭難と判明。乗客30人全員が犠牲となり、
戦後最大の航空機事故となった。しかし、当時は情報の収集が困難で「全員救助」の情報が乱れ飛び、
一部の大新聞も「全員救助」と書いた。しかし、長崎民友新聞は「漂流中を全員救助 危うく助かった大辻司郎」
の見出しの下に長崎に向う途中の漫談家大辻司郎の話として「漫談の材料が増えたよ」という談話を載せた。
原因は、汽車で先行した秘書が「全員救助」の情報を耳にして長崎民友新聞に知らせたためで、
同社は翌日社告を出して読者に詫びた。



TOPへ